宇垣 一成
うがき かずしげ
1868(慶応 4. 6.)
1956. 4.30(昭和31)
◇陸軍軍人・政治家。岡山県出身。陸軍士官学校1期・陸軍大
学校卒業。
参謀本部員・ドイツ駐在武官陸軍省軍務局軍事課長。1913
(大正 2)山本権兵衛内閣の軍部大臣現役武官制の廃止に反対し、
一時左遷。参謀本部総務部長・教育総監部本部長・陸軍次官を
歴任。
1924(大正13)清浦奎吾(ケイゴ)・同年第1〜2次加藤高明・
1926(大正15)第1次若槻礼次郎内閣の陸軍大臣。この間、4個
師団を廃止(宇垣軍縮)・軍の近代化に力を入れ、軍部の反感を
得る。1927. 4.(昭和 2)朝鮮総督代理。1929(昭和 4)浜口雄幸
(オサチ)内閣の陸軍大臣。
陸軍中堅将校が対米協調外交・ロンドン軍縮会議調印の浜口
内閣を倒し、宇垣内閣を出現させようとクーデタを計画するが、
1931. 3.(昭和 6)計画不備と宇垣のためらいで未発(三月事件)。
民政党の安達謙蔵らが浜口の後に宇垣を総理にしようしている
ことを知ったためという。ここでも軍部の信望を失い、次の若
槻礼次郎内閣では陸軍大臣を南次郎に譲り退役。
同年6月、朝鮮総督。満州事変では関東軍を支持。朝鮮に軍
需工場を育成。1937. 2.(昭和12)広田弘毅(コウキ)内閣総辞職の
後、組閣の命を受けるが軍部の反対で失敗、6月近衛文麿(フミマ
ロ)が組閣。1938(昭和13)近衛内閣の外務兼拓務大臣、対中国和
平工作に効果を上げられず、興亜院設置に反対し辞職。
太平洋戦争後、公職追放され、1952(昭和27)解除。1953(昭
和28)全国区最高得票数で参議院議員に当選。