上杉 治憲
うえすぎ はるのり
1751(寛延 4. 7.)
1822(文政 5. 3.11)
◇江戸後期の米沢藩主。号は鷹山(ヨウザン)。日向国高鍋藩主秋
月種美の次男、上杉重定(シゲサダ)の養子。
1760(宝暦10)米沢藩主上杉重定の養子となる。1766(明和 3)
元服して従四位下弾正大弼に任じられ、第10代将軍徳川家治の
偏諱(ヘンキ)を受けて治憲と称する。
1767(明和 4)襲封。竹俣当綱(タケマタ・マサツナ)や莅戸善政(ノゾキド・
ヨシマサ)を重用して藩の経済を再建。節倹を励行、産業を奨励。
学問のため興譲館を、武技修練のため武館を設立。
◎秋田藩主佐竹義和(ヨシマサ)・白河藩主松平定信とともに江戸時
代の名君といわれる。
(2)生年は1751(宝暦1)。(名)幼名直丸