上杉 教朝
うえすぎ のりとも
生年不詳
没年不詳
◇室町前期の武将。通称は治部少輔。上杉氏憲(ウジノリ)(禅秀)
の子、持房(モチフサ)の弟。
1416(応永23)禅秀の乱の翌年父氏憲は自殺するが、兄持房と
ともに京都に逃れ、僧となる。のち還俗し、1440(永享12)結城
合戦では、第4代将軍足利義持(ヨシモチ)の命で兄持房とともに東
海・東山の兵を率いて関東に下向して下総の結城氏朝(ユウキ・ウジ
トモ)を攻める。翌年、氏朝の首級を持って上洛。
幕府は古河公方(コガクボウ)足利成氏(シゲウジ)に対抗するため
足利政知(堀越公方)を伊豆国堀越に下向させ、政知に伴って伊
豆に下着。54歳の時に自害。