上杉 憲実
うえすぎ のりざね《うへすぎ のりざね》
1411(応永18)
1466(寛正 7. 2. 6)
◇室町前期の武将・関東管領。幼名は孔雀丸のち四郎、通称は
安房守、法号は高嶺長棟庵主。越後上杉房方の3子、山内上杉
憲基(ノリモト)の養嗣子。上杉清方(キヨカタ)・道悦の兄。上杉憲忠(ノ
リタダ)・房顕(フサアキ)の父。
越後上杉家から山内上杉家を継ぐ。1419(応永26)幼少で関東
管領に補任。
僧から還俗した将軍足利義教(ヨシノリ)と、将軍職を望む鎌倉公
方足利持氏の不和を調停。1436(永享 8)信濃紛争に対する持氏
の出兵を諌止。1438(永享10)持氏の子賢王丸(義久)の元服に際
し、憲実は将軍の偏諱(ヘンキ)を請うよう提言するが、持氏は拒
否。幕府に重きをなしたとして持氏と不和になり憲実は出奔し
領国上野に帰る。幕府はこれを口実に今川範忠(ノリタダ)・小笠
原政康に出兵させ憲実を援助(永享(エイキョウ)の乱)。幕命に従い
主君の持氏を討伐し、持氏は鎌倉永安寺に軟禁。憲実は持氏を
弁護したが、義教が許さなかったため、翌1439(永享11)持氏は
鎌倉永安寺で自殺。
持氏の遺児春王丸・安王丸を迎えて下総国結城城で挙兵した
結城氏朝(ウジトモ)を、弟清方とともに平定(結城合戦)。この後、
憲実は伊豆国国清寺で出家、幕府からの要請を断り弟道悦・子
憲忠を伴い諸国を行脚(アンギャ)。周防大寧寺で没する。
1439(永享11)足利学校を再興。
(2)生年は1411(応永18)。
(4)生年は1409。
(6)生年は1410。
(16)生年は1411(応永18)。