允恭 天皇
いんぎょう てんのう《いんぎよう てんわう》
生年不詳
没年不詳
◇第19代の天皇。名は雄朝津間稚子宿禰尊(オアサヅマワクゴノスクネノミコ
ト)。仁徳天皇の第4皇子、母は磐之媛命。第18代反正(ハンゼイ)
天皇の同母弟。皇后は忍坂大中媛(オサカノオオナカツヒメ)(応神天皇の孫)、
木梨軽皇子(キナシノカルノミコ)・第20代安康(アンコウ)天皇・第21代雄略
(ユウリャク)天皇・軽大娘皇女(カルノオオイラツメノヒメミコ)の父。
反正天皇に継いで即位、大和の遠飛鳥宮(トオツアスカノミヤ)を都と
する。
皇后の妹[1]衣通郎姫(ソトオシノイラツメ)(弟姫)を寵愛、皇后の嫉妬
をさけるため河内の茅渟宮(ヌチノミヤ)に住まわせ、姫のため諸国
に藤原部を定める。
皇太子木梨軽皇子と同母妹軽大娘皇女とが相愛の仲となり、
天皇の御膳の汁が凍ったことから露見して皇女を伊予国に流し、
皇太子は赦(ユル)す。
在位: 412(壬子.12.)〜 453(癸巳. 1.14)。
◎『宋書』倭国伝の「済」に比定される。
氏姓の混乱を正すため諸氏を味橿丘(ウマカシノオカ)(奈良県高市郡
明日香村)に集めて盟神探湯(クガダチ)を行ったという。
(2)味橿丘(ウマカシノオカ)(奈良県高市郡明日香村)で……。
(16)味橿智に会して…….