岩崎 弥太郎
いわさき やたろう《いはさき やたらう》
1834(天保 5.12.)
1885. 2. 7(明治18)
◇実業家・三菱財閥の創始者。名は寛、号は東山。土佐藩安芸
郡井ノ口村一ノ宮に住む地下(ジゲ)浪人(*1)弥次郎の子、弥之
助の兄。
加藤高明(タカアキ)・幣原喜重郎(シデハラ・キジュウロウ)は娘婿。
1853(嘉永 6)江戸に出て安積艮斎に学び、帰郷後、吉田東洋
の門下生となり後藤象二郎の知遇を得て、藩の貨殖局下役さら
に長崎勘定役に抜擢。1870(明治 3)土佐藩主山内家が土佐開成
商社(九十九<ツクモ>商会)を創業、経営を一任され藩の海運の全
権を握る。
廃藩置県を前に九十九商会を解散、藩船その他の払い下げを
受ける。翌1871(明治 4)に三川商会を経て三菱商会と社名を変
更。
1874(明治 7)西郷従道(ツグミチ)の征台の役で、政府が買い入
れた13隻の汽船の依託を受け軍事輸送を行い、政府の保護を得
てただ同然の汽船払い下げ・洋銀80万ドルの低利補助金交付な
どを受ける。1875(明治 8)郵便汽船三菱会社(三菱会社)と改称。
1886(明治19)江華島事件、さらに1877(明治10)西南の役で政府
御用の海運業者として70万ドルの補助を受け巨利を得、為替・
海上保険・鉱山業・造船業にも進出。
1881(明治14)三菱の保護政策をとっていた大隈重信が失脚、
政府(井上馨)は1883(明治16)新たに三井の資本をバックに共同
運輸会社を創設して保護、激しい競争となる。結局、1885(明
治18)両社が合併することになるが、日本郵船会社の創設前に
病死。三菱の事業は弟の弥之助が次ぐこととなる。
死後、1903(明治36)末娘が幣原喜重郎と結婚。
(2)生年は1834。
(4)生年は1834。
明治七年三菱商会を起し……。
(6)生年は1834/35。
(16)生年は1834(天保 5.12.)。
翌1871(明治 4)社名を三菱商会とあらため……。
(*1)地下浪人とは40年以上郷士職にあった者がその郷士株を売
却した場合をいう。