岩倉 具視
いわくら ともみ《いはくら ともみ》
1825(文政 8. 9.15)
1883. 7.20(明治16)
◇明治維新の功臣・公家政治家。公家堀川康親の二子。岩倉具
慶の養子、具定(トモサダ)の父。京都の人。
1857(安政 4)孝明天皇の侍従。1858(安政 5. 1.)老中堀田正
睦(マサヨシ)が日米修好通商条約の勅許を求めて自ら上京、公卿が
結束して反対し失敗させる。
はじめ孝明天皇の妹和宮(カズノミヤ)内親王の徳川家降嫁など公
武合体に尽力。尊攘派から弾劾され、洛北の岩倉村に謹慎。こ
のとき土佐藩士坂本竜馬・中岡慎太郎が薩長連合の計画をもっ
て訪ねている。のち討幕の中心となり、1867(慶応 3)大久保利
通らと王政復古のクーデターを行う。12. 8蟄居が許され参朝
を命ぜられる。
維新後、参与・右大臣に就任。条約改正の準備のため、1871
(明治 4.11.12)横浜を発ち欧米に渡り、1873. 9.13(明治 6)帰
国。西郷隆盛らの征韓論を阻止し、民権運動に対して井上毅(コ
ワシ)に欽定憲法を起草させるなど、内政の強化充実・近代天皇
制の確立に努める。
国葬。
(6)1854年孝明天皇の侍従。
◎1874. 1.14(明治 7)夜、右大臣岩倉具視が征韓論を支持する
旧土佐(高知県)士族に襲われて負傷(赤坂喰違の変)。