伊藤 仁斎
いとう じんさい
1627(寛永 4. 7.20)
1705(宝永 2. 3.12)
◇江戸前期の儒学(古学)者。古学派の始祖。名は維貞(コレサダ)
のち維(「木」偏+「貞」)(コレサダ)、幼名は源七、字は源吉のち源佐
(ゲンスケ)、別号は古義堂・棠隠(トウイン)、諡(オクリナ)は古学先生。
京都堀川丸太町上ルの材木商長沢屋七右衛門長勝の子、母は連
歌師法眼里村玄仲の娘那倍(ナベ)。伊藤東涯(トウガイ)・伊藤梅宇
(バイウ)・伊藤蘭嵎(ラングウ)の父。
初め朱子学を修めるが、「理先気後説」を批判し、孔孟の古義
にそむくとしてしりぞける。
1662(寛文 2)京都の堀川に家塾古義堂を開き、門弟三千人を
集める。
著書は『論語古義』・『孟子古義』・『語孟字義』・『童子
問』など。