山本 五十六
やまもと いそろく
1884. 4. 4(明治17)
1943. 4.18(昭和18)
◇海軍軍人。新潟県長岡生れ。
1904(明治37)海軍大学校卒業。
1926(大正15)から武官として2年間アメリカに滞在。第一航
空戦隊司令官。1934(昭和 9)海軍主席代表としてロンドン軍縮
会議の予備交渉に参加。1935(昭和10)海軍航空本部長・1937
(昭和12)米内(ヨナイ)光政海軍大臣の海軍省次官。1939. 9. 1(昭
和14)連合艦隊司令長官。1940(昭和15)海軍大将。
太平洋戦争開始に反対したが、真珠湾攻撃・ミッドウェイ海
戦などの指揮にあたる。
1943(昭和18)前線作戦指導中、一式陸攻に搭乗してブナカナ
ウ基地を飛び立ち、ソロモン諸島ブーゲンビル島上空で米軍機
ロッキードP38によって撃墜され戦死。この攻撃はアメリカ
海軍によって、4月1日に変えたばかりの日本軍の暗号「波暗
号」が解読されていたためであった。
死後、元帥。
◎身長は五尺二寸五分(約159cm)。小柄ではあったが周囲を圧
する威厳があった。
遺体のポケットから『万葉集』第22巻から引用した和歌「今
日よりは 省(カエリ)みなくて 大君の/醜(シコ)の御楯(ミタテ)と
いで立つ吾は」が書かれている手帳が発見されている。
◎当時の標語「元帥の仇は増産で」
◎新橋の芸妓・梅龍(本名河合千代子)との浮き名は有名。また、
新橋の芸妓を連合艦隊の旗艦長門に招いたこともあったという。