山内 豊信
やまのうち とよしげ
1827(文政10)
1872(明治 5)
◇江戸幕末の第15代土佐藩主。号は容堂(ヨウドウ)。酒を好み、
鯨海酔侯と自称。
支族豊著の長子として生れ、1848年襲封。
吉田東洋らを起用して藩政を改革。
将軍継嗣問題では一橋派に属し、安政の大獄により大井村の
下屋敷に謹慎を命ぜられ蟄居(チッキョ)、のち隠居。
1860年の幕政改革で政界に復帰し1863(文久 3)参与となり、
公武合体に尽力。1867(慶応 3)家臣後藤象二郎の意見を入れ、
将軍徳川慶喜(ヨシノブ)に大政奉還を建白して実現させた。公議
政体論による徳川氏中心の列侯会議を主唱したが、小御所会議
で討幕派に押し切られた。
維新後、議定(ギジョウ)・内閣事務総裁。1869(明治 2)引退。
(*)1848(弘化 5