山県 大弐(山縣 大貳)
やまがた だいに
1725(享保10)
1767(明和 4. 8.)
◇江戸中期の尊王論者・兵学者。名は昌貞(マササダ)、字は子明、
通称は大弐、号は柳荘。甲斐(カイ)の人。
医術・儒学・天文・地理・兵学を修める。
宝暦年中(1751〜1764)、江戸に出て塾を開き兵学を講じる。
竹内式部の宝暦事件に際し、『柳子新論』を著し「天に二日
なく、民に二主なし」と尊王思想を説く。また当時、田沼意次
の時代で、幕府の賄賂(ワイロ)を批判。
1766(明和 3)反幕府の陰謀という密告により捕らえられ(明
和事件)、翌年藤井右門とともに死罪。
◎竹内式部・藤井右門とともに三尊王家(サンソンオウカ)の一人。
明治になって正四位を追贈。
◎祖先は武田信玄二十四勇将の一人山県昌景(マサカゲ)という。