山鹿 素行
やまが そこう《やまが そかう》
1622(元和 8. 8.16)
1685(貞享 2. 9.26)
◇江戸前期の儒学者・兵学者。名は高興(タカオキ)・高祐(タカスケ)、
幼名は佐太郎、字は子敬、通称は甚五左衛門、号は陰山のち素
行。陸奥国会津若松生れ。父は貞以(サダモチ)。
六歳で父とともに江戸に出る。1630(寛永 7)林羅山(ラザン)の
門人となり朱子学を学ぶ。また兵学を十八歳で北条氏長に、甲
州軍学を小幡景憲に修める。
江戸で山鹿流軍学を講じると諸大名が争って招いたが応じな
かった。
1652年赤穂藩主浅野長直(ナガナオ)に禄高一千石で仕える。1660
(万治 3)赤穂藩を致仕。再び江戸で講義。
朱子学や陽明学に反対し、孔子の原典への復帰する古学を提
唱し、1665(寛文 5)朱子学の観念論化を批判した『聖教要録』
3巻を著したため、幕府に忌まれ、翌年赤穂藩に配流。
1669(寛文 9)配所で中心は日本であるとする『中朝事実』2
巻を著す。
1675(延宝 3. 7.)許されて、8月江戸に帰り、私塾を開き軍
学を講じる。
古学の開祖・山鹿流軍学の始祖。
他の著書は『武教要録』・『武教全書』8巻・『配所残筆』
・『山鹿語類』43巻・『武家事紀』・『原源発録』など。
◆墓は東京都新宿区弁天町の宗参寺。
◎赤穂義士の大石良雄らは配流中の門下という。
(2)小幡勘兵衛景憲に甲州流軍学を学んで免許を得、自ら山鹿
流軍学を創始。'75(延宝 3)許され,……。
(+)『国史の光 下巻』昭和 2年12月 5日發行
著者:中山榮作