矢頭 教兼
やとう のりかね
1686(貞享 3)
1703(元禄16. 2. 4)
◇江戸中期の赤穂浪士。部屋住。通称は右衛門七(モンシチ)、戒名
は刃擲振剣信士、吉良家の探索中の変名は清水右衛門七。
赤穂藩士勘定方二十石五人扶持の父長助(チョウスケ)が病に倒れ
たので、若年ながら代理する。
吉良家討ち入りでは表門隊。兜頭巾の裏には父の戒名「円月
霜光居士」を記した紙を納めていた。三河岡崎城主水野堅物(ケン
モツ)の江戸中屋敷に預けられ、翌年、杉源助(ゲンスケ)の介錯(カイシャ
ク)で切腹。