本居 宣長
もとおり のりなが《もとをり のりなが》
1730(享保15. 5. 7)
1801(享和元. 9.29)
◇江戸中期の国学者・歌人。姓は小津、1752(宝暦 2)に本居に
改姓、幼名は富之助、のち12歳のとき永貞(ヨシサダのちナガサダ)
・真良、さらに26歳で宣長、通称は弥四郎のち健蔵、号は芝蘭
(シラン)・舜庵(シュンアン)・春庵(シュンアン)、家号は鈴屋(スズノヤ)。伊勢
国松坂本町の商家の生れ。
父は小津三四右衛門定利(サダトシ)道樹、母は「かつ」(後妻)で
法号は恵勝。先妻栄樹は「もと」、道樹の長兄洞誉(ドウヨ)の嫁。
春庭(ハルニワ)の実父、大平(オオヒラ)の養父。
1752(宝暦 2)京都に上り、儒学を堀元厚(堀景山)に、医学を
武川幸順に学び、同時に契沖(ケイチュウ)に私淑。1757(宝暦 7.10.)
帰省し小児科医を開業。
1762(宝暦12)伊勢国安濃津の草深氏の娘民子(のち勝子)を娶
る。翌年、長子春庭が生れる。
医業のかたわら『源氏物語』などを研究。1763(宝暦13)賀茂
真淵(カモノマブチ)が伊勢参拝で松坂に泊った際、面会して入門し
古道研究を志し、30余年を費やして大著『古事記伝』44巻を
1798(寛政10)完成。
国文学の本質を「もののあはれ」として儒仏を排して古道に帰
るべきを説く。「てにをは」や活用なども研究。
著書は『源氏物語玉の小櫛』・『古今集遠鏡』・『てにをは
紐鏡』・『詞の玉緒』・『石上私淑言(イソノカミササメゴト)』・『直
毘霊(ナオビノミタマ)』・『玉勝間』・『うひ山ぶみ』・『馭戎慨言
(カラオサメノウレタミゴト)』・『秘本玉くしげ』など。
◆宣長忌(鈴の屋忌)[旧暦 9.29]鈴の屋は書斎の名。
◆宣長さくらまつり[ 4.7〜 4.9]三重県松阪市の松阪公園。宣
長の旧宅鈴の屋や記念館がある。
(4)『馭戎慨言(カラオサメノウレタミゴト)』……。
(6)62年松阪で賀茂真淵と出会い……。
(19)『馭戎慨言(ギヨジユウガイゲン)』……。
◎荷田春満(カダノアズママロ)・賀茂真淵・平田篤胤(アツタネ)とともに
国学四大人(シタイジン)の一人で、鈴の屋大人と呼ばれる。