村松 秀直
むらまつ ひでなお
1642(寛永19)
1703(元禄16. 2. 4)
◇江戸中期の赤穂浪士。赤穂藩士、扶持奉行、江戸詰め。通称
は喜兵衛(キヘエ)、戒名は刃有梅剣信士、吉良家の探索中の変名
は町医者荻野降円(オギノ・コウエン)。
吉良家討ち入りでは表門隊。毛利(モウリ)甲斐守の麻布(アザブ)
屋敷に預けられ、翌年、田上五左衛門(タガミ・ゴザエモン)の介錯(カ
イシャク)で切腹。
赤穂藩士松村九太夫(キュウダユウ)の養子。父はもと武士の町人
堀江九右衛門(キュウエモン)。松村三太夫(サンダユウ)高直(タカナオ)の父。
高直の弟政右衛門(マサエモン)は幕府の小姓頭小笠原長門守長定(ナガ
サダ)に仕えていたが、遺族として連座、1703(元禄16. 4.)伊豆
大島へ流罪となり、のち赦免となり小笠原家に復帰。