源 範頼
みなもとののりより
生年不詳
1193(建久 4. 8.17)
◇平安末期・鎌倉初期の武将。源義朝(ヨシトモ)の第6子、母は遠
江国池田宿(イケダジュク)の遊女。母の故郷遠江国蒲御厨(カバノミクリ
ヤ)で育ち、蒲冠者(カバノカジャ)・蒲殿と呼ばれる。源義平(ヨシヒラ)
・頼朝(ヨリトモ)の異母弟、義経(ヨシツネ)の異母兄。
1180(治承 4)兄頼朝が伊豆で挙兵すると直ちに馳せ参じる。
志田義広を下野に破り、弟義経と西上し、1184年近江に源(木
曾)義仲(ヨシナカ)を討つ。翌年平家を壇ノ浦に滅亡させる。その
まま九州に留まり、義経のように頼朝の猜疑(サイギ)を招くこと
はなかった。
しかし、1193(建久 4. 5.28)富士の裾野の巻狩(マキガリ)で曾
我(ソガ)兄弟が仇討(アダウチ)を行ない、鎌倉の政子(マサコ)のもと
に頼朝討たれるという誤報が届いた。色を失った政子に範頼は
私がついているから案ずるなと慰め、これを頼朝に自分の後釜
(アトガマ)をねらうと疑われる。 8. 2伊豆の修善寺(シュゼンシ)に流
され、 8.17頼朝に差し向けられた梶原景時(カゲトキ)に攻められ、
館に火を放ち自刃。
(*)1184(寿永 3