三浦 梧楼
みうら ごろう
1846(弘化 3.11.15)
1926. 1.28(大正15)
◇明治・大正時代の陸軍軍人(中将)・政治家・枢密院顧問官。
旧名は五郎、号は観樹。長州藩士五十部吉平の5男、三浦道庵
の養子。
高杉晋作の奇兵隊に参加。
明治維新後は兵部省に出仕し、1870(明治 3)兵部権少丞。
1875(明治 8)元老院議官。
1876(明治 9)広島鎮台司令官として萩の乱・西南戦争に従軍。
1878(明治11)陸軍中将。
1888(明治21)予備役編入、宮中顧問・学習院院長を兼任。
1889(明治22)国粋主義の立場から大隈重信の条約改正案に反
対。
1890(明治23)貴族院議員。
1895. 8.(明治28)[高宗32]韓国駐在公使となり、 9. 1着任。
浪士・日本軍守備隊らを指揮し、10. 8朝鮮王高宗の妃(閔妃<ビ
ンビ>)をソウル(京城)の王宮(景福宮)内で暗殺(乙未<イツビ>政変)。
国際世論の批判によって召還されるが、1896. 1.20(明治29)免
訴。
1897(明治30)地租増徴に反対し運動する。
1910(明治43)枢密顧問官。のち憲政本党に入党し、大正年間、
政界の黒幕として藩閥内閣に反対。
1924(大正13)憲政会・立憲政友会・革新倶楽部の護憲三派内
閣を成立させる。