間宮 林蔵
まみや りんぞう
1775(安永 4)
1844(弘化元. 2.26)
◇江戸後期の北方探検家。本名は倫宗(トモムネ)、通称は林蔵。箍
(タガネ)職人庄兵衛の子、母はクマ。常陸国筑波郡谷井田村上平
柳生れ。
1790(寛政 2)ころ江戸に出る。ロシアの南下に備えるため、
1799(寛政11)松前藩の東蝦夷地のうち浦河(ウラカワ)から知床(シレト
コ)の間が幕府直轄領となり、普請役村上島之允の従者として調
査隊に参加。1800(寛政12)蝦夷地御用雇となり、伊能忠敬(タダ
タカ)から測量術を学ぶ。択捉(エトロフ)でロシア人の襲撃に遭遇す
る(フヴォストフ事件)。
1807(文化 4)松平忠明から松田伝十郎とともに樺太(カラフト)探
検を命ぜられる。翌年、単身でアイヌ人を雇い樺太を北上、北
端のナニオーにいたり、樺太が島であることを発見する。のち
に樺太と大陸との海峡が「間宮海峡」と呼ばれる。さらに清国に
朝貢に行く山丹人の船でキジ湖から黒竜江(コクリュウコウ)に進み、
川を溯(サカノボ)り大陸内部も調査する。この調査を『東韃地方
紀行』に著し、1811(文化 8)江戸に出府し、幕吏に取り立てら
れる。1822(文政 5)勘定奉行所属の御普請役。1824(文政 7)御
備場掛手附。
1828(文政11)シーボルトの荷の中に林蔵宛のものがあり、林
蔵がこれを幕府に届けてシーボルトの日本地図の国外持ち出し
が発覚。林蔵の恩人の天文方高橋景保(カゲヤス)がシーボルトに
地図を与えていたため、捕われて翌年獄死。このため密告者と
いわれ人望を失う。
1829(文政12)幕府隠密として長崎奉行の監察のため長崎に向
う。浜田藩の密貿易を摘発(竹島事件)。
江戸深川蛤町で死去。
(2)生年は1775(安永 4)(異)80。
(4)生年は1775。
(6)生年は1775。