細川 忠利
ほそかわ ただとし
1586(天正14)
1641(寛永18)
◇江戸前期の大名。初名は光のち第2代将軍徳川秀忠の一字を
与えられ忠利と改名、字は内記、通称は越中守。細川忠興(タダ
オキ)の3男、母は細川ガラシア、忠尚の父。
1600(慶長 5)関ヶ原の戦いに徳川家康の軍として出陣。1609
(慶長14)秀忠の養女千代姫を妻とする。1620(元和 6)家督を継
ぎ豊前国小倉藩39万9千石の藩主。1632(寛永 9)肥後国熊本藩
54万石に移封。1637(寛永14)島原の乱に出陣。
◎森鴎外の『阿部一族』は、この忠利への殉死に関する話であ
る。