北条 氏綱
ほうじょう うじつな《ほうでう うぢつな》
1486(文明18)
1541(天文10. 7.19)
◇戦国時代の武将・伊豆韮山城主のち相摸小田原城主。幼名は
千代丸のち新九郎、通称は左京大夫。北条早雲(ソウウン)の嫡子、
母は小笠原氏の娘、北条幻庵の兄、北条氏康(ウジヤス)の父。
1518(永正15)父早雲より家督を譲られ後北条家二代目当主と
なる。1519(永正16)早雲が没し、箱根湯本に早雲寺を建立。
1524(大永 4)江戸城に出陣し、上杉朝興(トモオキ)を河越(カワゴエ)
城に敗走させ、伊勢姓を北条に改姓。河越城をたびたび攻める
が成功せず、古河公方足利高基の子晴氏に娘(芳春院)を嫁がせ
る約束をして、同盟関係を樹立。
1525(大永 5)鎌倉に侵攻した里見義弘(ヨシヒロ)を鶴岡で迎えて
破る。
1532年、前関白近衛尚道の娘を後妻にする。1535(天文 4)今
川氏輝を援けて武田信虎と戦う。
1537(天文 6)上杉朝興が没し子の朝定が跡を継ぐと、河越城
を討ち破る。
同年、後奈良天皇が践祚しても即位の儀が行われないのを見
て、その費用5万疋を献じ従五位下・左京大夫に任じられる。
ついで足利高基の弟義明(ヨシアキ)が下総御弓に拠って氏綱と争
い、翌1538(天文 7)足利晴氏とともに義明の援軍里見義弘を破っ
て義明を斬刑に処す。
1541(天文10)病没。
(4)生年は1486。
(6)生年は1487:北条氏康の項。
(16)生年は1486(文明18)。
(19)生年は1486。
(*)1532(享禄 5