北条 泰時
ほうじょう やすとき《ほうでう やすとき》
1183(寿永 2)
1242(仁治 3. 6.15)
◇鎌倉幕府第3代執権。幼名は金剛、通称は江馬太郎・常楽寺
殿、法名は観阿。義時の長子。
1211年、修理亮、ついで駿河守・武蔵守に任官。
1221(承久 3)承久の乱が起ると幕府軍を率いて京都に攻め上
る。鎮撫の後、京都六波羅の北に居館をかまえ駐在し、南の居
館の叔父時房とともに初代六波羅探題となり、戦後の処理にあ
たる。
1224年、父義時が没し、執権に就任し、連署を置いて時房を
就任。1225年、評定衆を設置し合議体制にする。
1232(貞永元)三善康連らと計り『御成敗式目』を制定し、武
家政権を確立。
執権在位:1224〜1242(仁治 3)。
(*)1211(承元 5