北条 時宗
ほうじょう ときむね《ほうでう ときむね》
1251(建長 3)
1284(弘安 7. 4. 4)
◇鎌倉幕府第8代執権。幼名は正寿、通称は相模太郎(サガミ・タロ
ウ)、法名は道杲。時頼の子、母は北条重時の娘、時輔(トキスケ)の
異母弟、妻は覚山尼(カクサンニ)。
7歳の時に将軍宗尊(ムネタカ)親王から時宗の名を賜る。
1261年左馬権頭・但馬権頭・1264連署・1265(文永 2)相模守
に任じられる。1266(文永 3)宗尊親王の近臣による時宗暗殺の
陰謀が発覚すると宗尊親王を廃して子の惟康王(のち親王)を立
てる。
1268(文永 5)18歳で執権となり、北条政村を連署とする。
これを不満とする兄時輔を1272(文永 9. 2.)時宗は反逆の意
図があるとして北六波羅探題の北条義宗(ヨシムネ)に襲撃させ、南
六波羅探題の時輔を殺害(二月騒動)。
蒙古の使者(元使)に応ぜず西国の防備を固める。1274(文永
11)文永の役で蒙古軍の侵略を防御。翌年の元使を鎌倉で斬り、
北条実政を筑紫探題とし北九州沿岸に防塁を築き元の来寇に備
える。1281(弘安 4)弘安の役でも宇都宮貞綱(サダツナ)を派遣し、
台風(神風)も遭って元軍を撃退。
国内政治的には得宗(トクソウ)専制の動きを見せる。
禅に帰依し、1282(弘安 5)鎌倉に宋僧無学祖元(ムガク・ソゲン)
を招き円覚寺(エンガクジ)を建立。
執権在位:1268(文永 5)〜1284(弘安 7)。
◆廟所は神奈川県鎌倉市山ノ内の円覚寺仏日庵(ブツニチアン)。
(*)1261(文応 2