北条 時政
ほうじょう ときまさ《ほうでう ときまさ》
1138(保延 4)
1215(建保 3. 1. 6)
◇鎌倉幕府の初代執権。通称は北条四郎、法名は明盛、遠江守。
時方の子、母は伊豆掾伴為房の娘、北条政子(源頼朝の妻)・
北条義時・北条時房の父。伊豆北条の人。
源頼朝が伊豆に流されその監視役となる。頼朝と親交を結び、
娘政子を配する。
1180(治承 4. 8.)以仁王(モチヒトオウ)の令旨(リョウジ)を奉じて頼
朝が挙兵するとこれを助け、伊豆目代平兼隆を討たせ、頼朝と
ともに石橋山(小田原市片浦)で大庭景親(オオバ・カゲチカ)に敗れて
海路安房に逃れる。その後、甲斐に赴き武田氏の援助を得る。
幕府が創立されると重用され、頼朝の外戚として勢力をふる
う。
頼朝の没後、大江広元・仁本元常とともに比企能員(ヒキ・ヨシカズ)
を謀殺。第2代将軍頼家の長男一幡(イチマン)をも殺し、頼家を修
善寺で謀殺して源実朝を擁立、初代執権となり幕府政治の実権
を握る。
1205(元久 2)畠山重忠父子を攻めて殺す。同年、後妻牧ノ方
の陰謀により、実朝を廃し女婿平賀朝政(トモマサ)を将軍にしよう
として失敗し、出家して明盛と号する。
執権在位:1203(建仁 3)〜1205(元久 2)。
◎比企能員の娘若狭局(ワカサノツボネ)は頼家の妻で一幡の母。