北条 時輔
ほうじょう ときすけ《ほうでう ときすけ》
1247
1272(文永 9. 2.)
◇鎌倉時代の武将。幼名は宝寿丸、元服して相模三郎時利。北
条時頼の長子、母は将軍家讃岐、時宗・宗政の異母兄。
1266(文永 3)時宗暗殺の陰謀が発覚して将軍宗尊(ムネタカ)親王
が廃されると、公家と交渉して宗尊親王の子惟康王(のち親王)
の擁立に成功。
1268(文永 5)時宗が執権に就任すると時宗と対立。1272(文
永 9. 2.15)時宗は時輔に反逆の意図があるとして北六波羅探
題の北条義宗(ヨシムネ)に襲撃させ、南六波羅探題の時輔は応戦し
て殺される(二月騒動)。
(*)1247(寛元 5