北条 氏政
ほうじょう うじまさ《ほうでう うぢまさ》
1538(天文 7)
1590(天正18. 7.11)
◇戦国時代の武将・相摸小田原城主。幼名は乙千代丸、通称は
左京大夫・相摸守。北条氏康(ウジヤス)の長男・嫡子、母は今川
氏親の娘、北条氏照(ウジテル)・氏邦(ウジクニ)・氏規(ウジノリ)・[2]
上杉景虎(カゲトラ)の兄、氏直の父。
1559(永禄 2)父氏康より家督を譲られる。1562(永禄 5)父氏
康に従い武田信玄と戦う。1564(永禄 7)里見義弘(ヨシヒロ)に国府
台(コウノダイ)で、父とともに勝利。
1569(永禄12)上杉謙信と和睦し、弟景虎を越後に養子として
送る。同年、武田信玄の出城、駿河の三枚橋・興国寺などを攻
略し信玄と数度交戦。
1571(元亀 2)常陸(ヒタチ)佐竹義重(ヨシシゲ)を攻めるが、父が病
没。
1573(元亀 4)当主を氏直に譲る。
1575(天正 3)武田信玄と和睦し、上杉謙信とは断絶。
1582(天正10)織田・徳川両氏とともに武田勝頼を滅ぼす。
1590(天正18)豊臣秀吉の小田原征伐の時、小田原城に籠城す
るが、支城がつぎつぎに攻略され、降伏して開城するにいたり、
秀吉の命により弟氏照とともに城下の田村安斎宅で自刃。
(16)1560(永禄3)家を継ぎ…….
◎小田原開城後、子の氏直は徳川家康の女婿であったため助命
されて、高野山に籠居。