藤原 家隆
ふじわらのいえたか
1158(保元 3)
1237(嘉禎 3. 4. 9)
◇鎌倉前期の歌人。初名は雅隆(マサタカ)、法名は仏性(ブッショウ)、
壬生二品(ミブノニホン)とも称する。藤原光隆の子(*1)、寂蓮(ジャク
レン)の婿。
藤原俊成の門人。後鳥羽上皇に寵愛され和歌所寄人、『新古
今集』の撰者の一人となる。従二位宮内卿。
1236(嘉禎 2.12.)79歳のとき病気のため出家。
(*1)「尊卑分脈」では3男、「公卿補任」では次男。
日本全国の歴史人物、詩人、役者、学者などの有名な方々の名前や簡単な略歴などのデータベース。
ふじわらのいえたか
1158(保元 3)
1237(嘉禎 3. 4. 9)
◇鎌倉前期の歌人。初名は雅隆(マサタカ)、法名は仏性(ブッショウ)、
壬生二品(ミブノニホン)とも称する。藤原光隆の子(*1)、寂蓮(ジャク
レン)の婿。
藤原俊成の門人。後鳥羽上皇に寵愛され和歌所寄人、『新古
今集』の撰者の一人となる。従二位宮内卿。
1236(嘉禎 2.12.)79歳のとき病気のため出家。
(*1)「尊卑分脈」では3男、「公卿補任」では次男。