フロイス
ふろいす
1532
1597(慶長 2)
◇ポルトガルのイエズス(ヤソ)会士。本名はLuis Frois。リス
ボン生れ。
1548(天文17)イエズス会に入る。東インドに派遣されゴアに
着き、聖パウロ学院に入学する。日本人最初の神学生パウロ・
アンジローと知り合い、またザビエルから日本の事情を聞く。
1554(天文23)司祭になり学院長・管区長の秘書を勤める。
1562(永禄 5)日本伝道の命を受け、1563(永禄 6)横瀬浦に入
港。フェルナンデスに付き日本語を修め、協力して『日本文典』
を編纂する。1565(永禄 8)上洛、第13代将軍足利義輝(ヨシテル)に
謁見。1569(永禄12)織田信長と謁見、ロレンソとともに席上で
日蓮僧朝山日乗(アサヤマ・ニチジョウ)を論破し、延暦寺や石山本願寺
などの対抗策として信長の保護を受け、近畿伝道の成果を収め
る。のち『日本史』の編纂を委嘱される。1586(天正14)クエリ
ヨの日本全市教地巡錫に随行、九州各地や近畿地方を歴訪し、
長崎に帰る。
1587(天正15)豊臣秀吉が追放令を発すると加津佐や長崎に行
き、1592年バリニアーノに随ってマカオに赴くが、再び長崎に
来たり、1597(慶長 2)長崎で日本二十六聖人の殉教を目撃。
同年長崎で亡くなる。
滞日中、ローマのイエズス会本部へ140余通の報告をしてい
る。『日本史』の草稿が1925(大正14)発見され、翌年刊行され
る。
(4)没年は1597。
「日本二十六聖人」の項。六九年(慶長一)長崎の丘上で……。
(6)没年は1596/97。
(16)没年は1597(慶長 2)。
'97(慶長 2)26聖人の殉教をまのあたりに見て,……。
(*)1532(享禄 5