藤原 良房
ふじわらのよしふさ《ふぢはらのよしふさ》
804(延暦23)
872(貞観14)
◇平安前期の廷臣・高官。通称は白河殿・染殿大臣(ソメイドノノオト
ド)、諡号(シゴウ)は忠仁公。冬嗣(フユツグ)の次男、母は阿波守真
作の娘美都子、室は嵯峨天皇の皇女潔姫、仁明天皇の女御(の
ち皇后)順子の兄、明子(アキラケイコ)の父、基経(モトツネ)の養父。
842(承和 9)承和の変で大伴氏・橘氏の勢力に打撃を与え、
妹順子の子の道康(ミチヤス)親王を皇太子とし、のち娘明子をその
妃とする。大納言・右大臣。
850(嘉祥 3)道康親王が文徳天皇として即位後、外戚として
勢力を得、娘明子の生んだ惟仁親王を皇太子にする。 857(天
安元)人臣として初めて太政大臣となる。
858(天安 2)9歳の惟仁親王が清和天皇として即位し、実質
的な摂政となる。 866(貞観 8)応天門の変で大伴氏(伴善男)・
紀氏(紀夏井)らを失脚させて混乱に乗じ、人臣として初めて公
的に摂政の詔を得、藤原氏による摂関政治の基礎を確立させる。
『続日本後紀』の撰修に参加。
◎死後、美濃公に封ぜられ、忠仁公の諡号を賜る。