藤原 道長
ふじわらのみちなが《ふぢはらのみちなが》
966(康保 3)
1027(万寿 4.12. 4)
◇平安中期の廷臣。御堂関白(ミドウカンパク)・法成寺入道前関白
太政大臣と称する。兼家の第5子、兄は道隆・道綱・道兼・道
義ら。
987源雅信の娘倫子(頼通・彰子らの母)と結婚、 988(永延
2)源高明の娘明子(頼宗・能信・寛子らの母)と結婚。 991(正
暦 2)権大納言となる。 995年右大臣となる。
996(長徳 2)兄関白道隆の子伊周(コレチカ)・隆家兄弟が不祥事
件で失脚し太宰権帥に左遷させられる。同年、兄弟の左遷で一
条天皇の中宮定子(テイシ)は一時出家、その間に娘の彰子を皇后
にする。出家を取り消した定子と二后並立となるが、12月定子
は死亡。
彰子に1008(寛弘 5)敦成親王(後一条)が、1009(寛弘 6)敦良
親王(後朱雀)が誕生。1011(寛弘 8)一条天皇が譲位し三条天皇
が即位、敦成が皇太子になる。1016(長和 5)三条天皇が譲位、
9歳の後一条天皇が即位し、道長が摂政となる。
1017年、子頼通(ヨリミチ)に摂政を譲り、太政大臣となる。1019
(寛仁 3)出家。法成寺を造営する。
娘を入内(ジュダイ)させ、三代の天皇の外戚として藤原氏全盛
を現出させる。長女彰子は第66代一条天皇の皇后で第68代後一
条・第69代後朱雀両天皇の母。次女研子は第67代三条天皇の皇
后。三女威子は後一条天皇の皇后。四女嬉子は後朱雀東宮の妃。
(*) 987(寛和 3