藤原 不比等
ふじわらのふひと《ふぢはらのふひと》
659[斉明 5]
720(養老 4. 8. 3)
◇奈良前期の高官。名は史・文忠公・淡海公。中臣鎌足の次子、
母は車持国子君の娘与志古娘。
山科の田辺史大隅らの家に養われ、史(フヒト)と名付けられる。
665[天智 4]鎌足の長子(法号定恵<ジョウエ>)が死去し、後嗣と
なる。 689[持統 3]藤原の姓を直径の不比等のみが継ぐことに
なる。 701(大宝元)正三位に叙せられ、大納言となる。 708
(和銅元)右大臣となり、のち正二位に叙せられる。
刑部親王を補佐して大宝律令の撰定に加わり律令制度を確立
させ、奈良遷都(平城京)を推進。養老律令の制定に着手したが、
完成をみずして病没。
娘宮子(ミヤコ)を文武天皇の夫人にし、首(オビト)皇子(聖武天皇)
が生まれる。後妻橘三千代との娘光明子(安宿媛<アスカベヒメ>)を
皇太子首皇子の妃とし、のち皇后となり人臣皇后の先例になる
など、藤原氏隆盛の基礎を築いた。
子供の武智麻呂(ムチマロ)(南家)・房前(フササキ)(北家)・宇合(ウマカ
イ)(式家)・麻呂(マロ)(京家)はそれぞれ藤原四氏の祖となる。娘
宮子は文武天皇妃、娘光明子(コウミョウシ)は聖武天皇の皇后。
(2)異説の生年は658。
(17)斉明天皇四年(六五八)あるいは同五年に生まれる。
(*)娘宮子は養女で伊勢の海女だったという伝承がある。