藤原 惺窩
ふじわら せいか《ふぢはら せいくわ》
1561(永禄 4)
1619(元和 5. 9.12)
◇安土桃山〜江戸前期の漢学者・近世儒学の祖。名は粛(シュク)、
字(アザナ)は斂夫(レンプ)、別号は北肉山人・妙寿院。冷泉為純の
子、藤原定家の12代の孫。播磨(ハリマ)細川庄生れ。
幼く京都相国寺(ショウコクジ)に入り、五山の禅や博士家の儒学
を学び朱子学に傾倒。明に渡航を企て薩摩まで行ったが果たせ
ず、朝鮮役の捕虜姜(「三水」+「亢」)(キョウコウ)と交わり学問を深め
る。
のち僧籍を離れ、徳川家康に進講して招かれるが林羅山(ハヤシ
・ラザン)を推薦して辞退。
京学をおこし近世儒学興隆の祖といわれる。
著書は『惺窩文集』・『寸鉄録』など。
◎朱子学を主として陸王(陸象山と王陽明)の学を排せず、老荘
や仏教を融和させる包容力のある学風であった。
◎門人は林羅山・松永尺五(セキゴ)・堀杏庵(キョウアン)・那波活所
(ナワ・カッショ)(以上、藤門四家<トウモンシカ>)など。