藤原 隆家
ふじわらのたかいえ
979(天元 2)
1044
◇平安中期の官僚。幼名は阿古、通称は大炊帥。関白藤原道隆
の4男、母は高階成忠(タカシナノナリタダ)の娘貴子(タカコ)、内大臣藤
原伊周(コレチカ)・一条天皇の皇后定子(テイシ)の弟。
995年、権中納言を経て中納言に至る。藤原道長のため 996
(長徳 2. 1.)従者があやまって花山法皇を弓で射、兄伊周と謀っ
たとされ、伊周は大宰権帥(ダザイノゴンノソチ)に、隆家は出雲権守
に左遷。道長により伊周の勢力が完全に除かれた後、 997(長
徳 3)官符をもって召還され帰京。
のち眼を患い、九州に宋の名医が来航したことを聞き治療の
ため望んで、1014(長和 3)大宰権帥に着任。生来の剛直な性格
により大宰府官僚・豪族を掌握。在任中、1019(寛仁 3)刀伊(ト
イ)の来襲の際に的確な指揮により大蔵種材(タネキ)らと撃退(刀伊
の入冦)。
(*) 995(正暦 6