藤原 伊周
ふじわらのこれちか《ふぢはらのこれちか》
973
1010(寛弘 7)
◇平安中期の官僚。通称は帥内大臣・儀同三司。関白藤原道隆
の子、母は高階成忠(タカシナノナリタダ)の娘貴子(タカコ)、一条天皇の
皇后定子(テイシ)・藤原隆家の兄。
994(正暦 5)内大臣。 995年、父道隆が死にあたり伊周を内
覧(摂政)にと請うが、道隆の弟道兼が反対し関白となる。しか
し道兼は在職7日で死亡。さらに一条天皇の母詮子が弟藤原道
長を強く推し、道長に「内覧の宣旨」が下った。
道長のため 996(長徳 2. 1.)従者があやまって花山法皇を弓
で射、弟隆家と謀ったとされ、伊周は大宰権帥(ダザイノゴンノソチ)
に、隆家は出雲権守に左遷。道長により伊周の勢力が完全に除
かれた後、 997(長徳 3)官符をもって召還され帰京。
妹定子のもうけた敦康親王の即位を望むが、これも道長に妨
げられ実現しなかった。
(*) 973(天禄 4