平田 篤胤
ひらた あつたね
1776(安永 5. 8.24)
1843(天保14.閏9.11)
◇江戸後期の国学者。秋田藩士大和田祚胤(トシタネ)の第四子で幼
名は正吉のち正吉胤行、平田家の養子となり半兵衛篤胤、号は
大角(ダイカク)・大壑(ダイカク)・気吹舎(イブキノヤ)・伊吹廼舎(イブキノ
ヤ)。
20歳に無一文で脱藩し江戸に出て苦学する。25歳に備中国松
山藩士平田篤穏(アツヤス)の養嗣子となり、藩主板倉家に仕える。
◎荷田春満(カダノアズママロ)・賀茂真淵(カモノマブチ)・本居宣長(モトオリ
ノリナガ)とともに国学四大人(シタイジン)の一人。