平井 権八
ひらい ごんぱち
生年不詳
1679(延宝 7)
◇江戸前期の浪人。鳥取藩主池田光仲の家臣平井正右衛門(六
百石)の長男。
17歳で一家の奥儀を極める。
1672(寛文12)秋の末、父の同僚本庄助太夫(あるいは須藤助
太夫)を殺傷したため、脱藩して江戸に逐電。浅草日本堤で通
行人から金銭を奪い吉原に通い、三浦屋の遊女小紫(コムラサキ)と
深い仲となる。
ある時、目黒不動そばの普化宗東昌寺の住僧随川にかくまわ
れ、尺八を習い改心。両親に一目会いたいと虚無僧となって郷
里に帰ったが両親はすでに他界していたため、観念して江戸に
戻り自首。
鈴ヶ森刑場に晒される。
◆東京都目黒区の目黒不動の近く(東昌寺跡)に、後追い自殺し
た小紫との比翼塚がある。
◎歌舞伎狂言では「白井権八」の名で知られる。
◎父の同僚を殺傷した原因は犬の喧嘩からと言われている。
ある時、城中で父正右衛門が同僚に「畜類などを鍾愛(ショウアイ)
するのはよろしくない」と語ったことを聞いた助太夫は、自分
の犬好きを暗に悪口したと思い立腹。そこで自分の犬をけしか
けて正右衛門の犬と喧嘩させると、正右衛門の犬が負けて尾を
尻の間に挟んで逃げてしまった。助太夫は「犬猫などは飼い主
に似る」と高言したが、還暦を過ぎて世間の苦楽を知っている
正右衛門は事を荒立てず、「拙宅の犬は手許不如意のため、飼
料も不十分であるし、かつは老年頽齢の拙者のことなれば、犬
も勇気が失せるでござろう」と言い、退出の時刻になったから
と他の同僚を促して帰宅した。
この話を友達から聞いた権八は、助太夫の家に押し掛け、一
刀の下(モト)に助太夫を仆(タオ)したと言われている。