池田 成彬
いけだ しげあき
1867(慶応 3)
1950(昭和25)
◇実業家のち政治家。米沢の人。中上川彦次郎(ナカミガワ・ヒコジロウ)
の女婿。娘敏子は岩崎隆弥(三菱本社3代目社長久弥の次男)の
嫁。
慶応義塾・ハーバード大学に学ぶ。
時事新報から中上川彦次郎時代の三井銀行に転じ、筆頭常務
を経て、1932. 3.(昭和 7)団琢磨(ダン・タクマ)の横死により三井
合名会社常務理事。「三井の大番頭」と呼ばれる。
1927(昭和 2)大蔵省の反対を押し切り、台湾銀行に対して短
期融資(コール)の引き上げを行ない、台湾銀行を破綻に追い込
む。
また、三井報恩会を設立し表向きは社会事業に寄付を行ない、
一方では北一輝を通じて右翼・軍部に多額の献金を行う。1936
(昭和11)二・二六事件の際は反乱軍に資金を提供したかどで調
べられるが、不起訴となる。
陸軍参謀本部第二課長石原莞爾(カンジ)大佐らの「軍財抱合(グ
ンザイホウゴウ)」構想により、1937(昭和12)「祭政一致」を掲げる林
銑十郎内閣の日本銀行総裁。第一次近衛内閣蔵相兼商工相・枢
密顧問官を歴任。
◎池田成彬のことば「三井という名は社会公共事業・慈善事業
といった方面にのみ使えばよい。平たくいえば銭設けの方では
三井の名を使わず、銭を散ずる方だけ三井の名を出せばよい」
(持株会社整理委員会『財閥の解体』)。