生田 万(生田 萬)
いくた よろず《いくた よろづ》
1801
1837(天保 8. 6.)
◇江戸後期の国学者。名は国秀、号は大中道人。別名は生田首
道麿(ミチマロ)・菅原道満(ミチマロ)。上野国館林藩士生田信勝の子。
平田篤胤に学ぶ。1828(文政11)藩政改革を建議して追放。許
されても帰藩せず、1836(天保 7)越後の柏崎(カシワザキ)に移住し
私塾桜園塾を開く。
天保飢饉(キキン)の際に代官・米商人の不正に憤り、1837(天保
8. 2.)大塩平八郎の乱に影響を受け、6月救民のため柏崎陣
屋を襲って失敗、負傷して自刃(生田万の乱)。
(*)1801(寛政13