ハリス
はりす
1804.10. 3(文化元)
1878. 2.25(明治11)
◇江戸幕末のアメリカの外交官。名はタウンゼント・ハリス
(Townsend Harris)。
中国(清朝)・オランダ領インドシナ・イギリス領インドなど
で商人として旅行。その知識と経験から初代駐日総領事に任命
される。
1856(安政 3. 7.)軍艦サン・ジャシント号に乗って伊豆下田
に着任、柿崎(カキザキ)の玉泉寺(ギョクセンジ)を総領事館とする。
幕府を説得し1857(安政 4. 5.)下田条約(日米約定)9箇条を
締結。10月第13代将軍徳川家定に拝謁し、当時、アロー戦争で
英仏連合軍が中国軍に大勝した報せを利用し、英・仏などの諸
国が武力で通商を要求する危険があるので平和的にアメリカと
条約を結んでいれば前例となると説得。幕府が相手にしないの
で、実際には権限がないにもかかわらず兵を動かす覚悟あると
通達し、勅許を得ずに1858. 7.20(安政 5. 6.16)軍艦ポーハタ
ン号艦上で下田奉行井上清直(キヨナオ)・目付岩瀬忠震(タダナリ)と
の間で日米修好通商条約14箇条・貿易章程7則(不平等条約)の
締結に成功。
その功績から1859(安政 6)全権公使に昇任、神奈川本覚寺に
公使館を置き、同年6月8日江戸麻布(アザブ)善福寺(ゼンプクジ)
へ移設。
1862(文久 2)辞任し、帰国。
ニューヨーク市教育局長としてニューヨーク市立大学を創設。
ニューヨークで死去。生涯、独身であった。
著書は日記『日本滞在記』。
◎東京都港区元麻布(モトアザブ)の善福寺に1936(昭和11)建立の
ハリスの肖像がついた記念碑がある。
◎ハリスに従い来日した通訳はヒュースケン。
1857(安政 4)幕吏のはからいで下田奉行の命により大工の娘
(斎藤きち)はハリスの看護のため玉泉寺に送られ、妾(メカケ)と
なる(唐人お吉)。