畠山 政長
はたけやま まさなが
1442(嘉吉 2)
1493(明応 2.閏4.25)
◇室町中期の武将・管領。畠山持国(モチクニ)の弟持富の子、尚順
(ヒサノブ)の父、持国の養子。
伯父持国の養子となったが、持国に妾腹の実子義就(ヨシナリ)が
生れたのち追放。細川勝元・山名宗全の援助を受けて家督を継
いで管領となる。
のち義就は宗全と結び政長を攻め、畠山一族を二分して抗争
し、応仁・文明の乱の発端をつくった。
乱後、細川政元らと対立。1493(明応 2)義就の子義豊が河内
(カワチ)誉田城に挙兵すると将軍足利義稙(ヨシタネ)と出陣、細川・
山名・一色・桃井・京極の諸将に正覚寺城を囲まれて自刃。