橋本 左内
はしもと さない
1834(天保 5. 3.)
1859(安政 6.10. 7)
◇江戸幕末の志士。名は綱紀・弘道、号は景岳(ケイガク)。越前
福井藩医彦也(奥外科医)の子。
15歳で緒方洪庵の適々斎塾に入門し医学・洋学を学ぶ。父の
後18歳で藩医となる。
1854〜1855(嘉永 7〜安政 2)江戸に遊学し杉田成卿(玄白の
孫)に学び、藤田東湖・西郷隆盛らと交遊。
松平慶永(ヨシナガ)(春岳)に認められ、御書院番に抜擢(バッテキ)。
らに藩校明道館学監となり、1857(安政 4)由利公正らと藩政革
に当る。
将軍継承問題で、一橋慶喜の擁立に尽力。反対派井伊大老に
より安政の大獄で斬首。
著書は『啓発録』など。
◆墓は東京都荒川区南千住の回向院。
◎号の「景岳」は宋の忠臣岳飛にあやかったもの。