橋本 雅邦
はしもと がほう《はしもと がはう》
1835(天保 6. 7.27)
1908. 1.13(明治41)
◇明治時代の日本画家。幼名は千太郎のち長郷、号は秋園。江
戸幕府の絵所狩野家の邸内で生れる。
1847(弘化 4)狩野勝川院雅信に入門。勝園雅邦(タダクニ)と号
し、同門の狩野芳崖(ホウガイ)とともにその英才を謳(ウタ)われ、
1854年勝川塾の塾頭となる。
明治維新で伝統芸術が顧みられなくなり、生活苦から一時は
三味線の駒を作るほどであった。
1882(明治15)内国絵画共進会に出品。1884(明治17)内国絵画
共進会でフェノロサ・岡倉天心に見出され、芳崖とともに日本
画の復興に努力。
1871(明治 4)海軍兵学寮(海軍兵学校の前身)に勤務。
1889(明治22)東京美術学校に勤務、1890(明治23)同校教授。
同年、第3回内国勧業博覧会に審査官として『白雲紅樹図』を
出品、1等妙技賞を受賞。帝室技芸員・各種展覧会の審査員を
務める。1895(明治28)第4回内国勧業博覧会に『竜虎図屏風』
(宮内庁三の丸尚蔵館所蔵)を出品。
1898(明治31)岡倉天心とともに辞職。同年、日本美術院の主
幹、横山大観・下村観山・菱田春草らを指導。
1900(明治33)パリ万国博覧会第二部(美術部門)に『竜虎図屏
風』を出品、銀牌を受賞。
他の作品は『秋景山水』・『瀟湘八景』など。
(4)名は長郷。
(16)名は長卿,号は秋園。
(19)名は長郷。
(*)1854(嘉永 7