豊臣 秀頼
とよとみ ひでより
1593(文禄 2. 8. 3)
1615(慶長20. 5. 8)
◇安土桃山・江戸初期の大名。幼名はお拾い・拾丸。豊臣秀吉
(ヒデヨシ)の次男、母は淀君。鎌倉東慶寺の天秀尼(テンシュウニ)の父、
夭折した鶴松の同母弟。室は第2代将軍徳川秀忠(ヒデタダ)の娘
千姫。
1600(慶長 5)関ヶ原の戦に敗れ、摂津・河内・和泉65万7千
石余の一大名となる。
1603(慶長 8)11歳で内大臣、徳川家と円満をはかるため片桐
且元(カツモト)らの尽力で徳川秀忠の長女千姫(7歳)を娶る。
1611(慶長16)徳川家康に呼ばれ、京都二条城で会見。
1614(慶長19.11.)大坂冬の陣と翌1615(慶長20. 5.)夏の陣に
敗れ、大坂城に火を放ち母淀君とともに自刃。