富森 正因
とみもり まさより
1670(寛文10)
1703(元禄16. 2. 4)
◇江戸中期の赤穂浪士。赤穂藩士、馬廻・使番、禄高200石。
通称は助右衛門(スケエモン)、俳号は春帆、(シュンパン)戒名は刃勇相
剣信士。吉良家の探索中の変名は山本長左衛門(チョウザエモン)。
討ち入りでは表門隊。泉岳寺(センガクジ)へ引き揚げる途中、
吉田忠左衛門(チュウザエモン)とともに同志を代表して大目付仙石(セ
ンゴク)伯耆守久尚(ヒサナオ)邸へ赴き、内匠頭家来口上書を差し出
し自訴。江戸高輪の細川家に預けられ、翌年切腹。
辞世の句は「四日は姉の忌日なれば/先立ちし人もありけり
今日の日を/終(ツイ)の旅路の思出にして」。
(?)とみのもり すけえもん(富森 助右衛門)。禄高三百石。