徳川 義親
とくがわ よしちか
1886.10. 5(明治19)
1976. 9. 6(昭和51)
◇明治〜昭和期の侯爵。旧名は松平金之丞。マレー通の狩猟家
として「虎狩りの殿様」と呼ばれる。東京生れ。福井藩主松平慶
永(ヨシナガ)・勇子の6男(末子)。1908(明治41)尾張徳川家の養
子となり、侯爵を襲爵。
1911(明治44)東京大学史学科卒業、1914(大正 3)植物科卒業。
1914(大正 3)徳川生物学研究所・1927(昭和 2)徳川林政史研究
所を設立。
1925(大正14)治安維持法制定に貴族院議員として反対。貴族
院改革案を起草。慈善ダンスパーティーを黒龍会に攻撃され、
議員を辞任。1931(昭和 6)民間右翼の清水行之助に請われて三
月事件のためのクーデター決行資金を提供。1936(昭和11)二・
二六事件が起こるや、昭和天皇に伝えようとして栗原安秀中尉
に連絡しようとして失敗、反乱幇助罪容疑となるが不起訴。
日中戦争期には排英運動を推進、南進政策を支持。1942. 2.
(昭和17)日本軍はシンガポールを占領、第25軍軍政顧問として
シンガポールに赴任。マレーやスマトラの占領行政に携わる。
昭南島(シンガポールを改名)のラッフルズ博物館・植物園の長
(実質は田中館秀三<タナカダテ・ヒデゾウ>)。1944(昭和19)帰国。
敗戦後は、国体護持のため日本社会党の結成に資金を援助、
党顧問となるが公職追放となる。1956(昭和31)自民党推薦で名
古屋市長選挙に立候補し落選。
日ソ交流協会会長。
(2)'41ラッフルズ博物館館長となり……。