道鏡
どうきょう《だうきやう》
生年不詳
772(亀宝 3. 4. 7)
◇奈良末期の法相宗(ホッソウシュウ)の僧。弓削連(ユゲノムラジ)氏。河
内国若江郡弓削郷(現:八尾市弓削町)の人。
義淵(ギエン)・良弁(ロウベン)に法相教学を学び、大和国葛木山
で如意輪法(ニョイリンホウ)などを修行。
762(天平宝字 6)近江保良宮に在った孝謙上皇(女帝)の病気
を如意輪宿曜(スクヨウ)秘法を用いて治療し、上皇の寵愛を受ける。
763(天平宝字 7)少僧都。
淳仁天皇は藤原仲麻呂(恵美押勝<エミノオシカツ>)の意を受けて上
皇に道鏡のことで忠告するが、上皇は立腹して法華寺に入り出
家する。この結果、仲麻呂は権力を失い、道鏡が台頭する。
764(天平宝字 8. 9.11)藤原仲麻呂の乱で、仲麻呂は敗死し、
淳仁天皇が廃されて淡路島へ流される。同年 9.20、道鏡は大
臣禅師となる。 765(天平神護元.閏10.)上皇は称徳天皇として
再び即位(重祚<チョウソ>)、道鏡は太政大臣禅師に任ぜられる。翌
年10月更に法王の位を得て専横を極め、のち 769(神護景雲 3)
宇佐八幡の神職習宜阿曾麻呂(スゲノアソマロ)と結び神託と称して皇
位を窺ったが、藤原百川の意をうけた和気清麻呂(ワケノキヨマロ)ら
によって妨害される。
770(神護景雲 4. 8. 4)天皇が崩御。同年八月、下野国(栃
木県)薬師寺別当に左遷。配所で没し、葬儀は庶人扱い。
(4)没年は 773。
(6)没年は 772。
(16)没年は 772(亀宝 3. 4. 7)。
(17)没年は 772(亀宝 3. 4.)。
◎出自は俗人説、物部守屋後裔説、皇胤説などがある。