徳川 光圀
とくがわ みつくに《とくがは みつくに》
1628(寛永 5. 6.10)
1700(元禄13.12. 6)
◇江戸前期の水戸第2代藩主・学者。幼名は千代松、字は子竜、
号は常山人・西山隠士・梅里、諡号(シゴウ)は義公(ギコウ)、水戸
光圀・水戸黄門(コウモン)と呼ばれる。水戸初代藩主徳川頼房(ヨリフ
サ)の第3子、母は靖定夫人谷久子。初代高松藩主頼重(ヨリシゲ)
の弟。
父頼房に堕胎を命ぜられた久子が水戸藩家老三木仁兵衛之次
(ミキ・ジンベエ・ユキツグ)の屋敷にかくまわれ、光圀が生れる。5歳
の時に認知され、水戸から江戸の小石川藩邸に移る。
1636(寛永13)元服、従五位下。1640(寛永17)従三位権中納言。
27歳の時、京都公卿近衛信尋の娘泰姫(タイヒメ)と結婚。
明の遺臣朱舜水(シュンスイ)を招き、1657(明暦 3. 1.)彰考館を
設立して、『大日本史』の編纂(ヘンサン)を開始し、水戸学の基礎
を築く。
1661(寛文元. 7.)父頼房が没し28万石の水戸藩主となり、頼
房への殉死を禁ずる。
1664(寛文 4)水戸偕楽園(カイラクエン)、修築。
1690(元禄 3)将軍綱吉に辞意を提出し、兄頼重の子綱條(ツナエ
ダ)に第3代藩主を譲り、太田郷西山に隠棲。
◎1832(天保 3)従二位権大納言、1900(明治33)正一位を追贈。
(*)黄門とは中納言の異称・唐名。