徳川 綱吉
とくがわ つなよし《とくがは つなよし》
1646(正保 3. 1. 8)
1709(宝永 6. 1.10)
◇江戸幕府の第5代将軍。幼名は徳松、諡号(シゴウ)は常憲院、
通称は犬公方(イヌクボウ)。第3代将軍徳川家光(イエミツ)の4男、母
は側室の本庄氏桂昌院(ケイショウイン)。第4代将軍徳川家綱(イエツナ)
・頼重の弟。
1651(慶安 4. 4.)父家光が病没。その直前に兄頼重とともに
別家し、十月に上州館林(タテバヤシ)十五万石が与えられる。1653
(承応 2. 8.)第4代将軍徳川家綱を烏帽子親として頼重ととも
に元服し、綱吉と改名。頼重が亡くなっていたので、1680(延
宝 8. 5.)家綱の病床で養嗣子となり、七月家綱が没し将軍に
就任。
老中堀田正俊(マサトシ)を大老に任じ、学問を好み、初期は文治
政治をして善政(天和の治)。1684年に正俊が没し、柳沢吉保(ヨ
シヤス)を重用し失政。1687(貞享 4)「生類憐(ショウルイアワレ)みの令」を
施行。荻原重秀(シゲヒデ)の進言で幕政打開策として、1695(元
禄 8)以降貨幣改鋳を実施。
1704年、兄頼重の子頼豊(家宣)を養子とする。
将軍就任1680(延宝 8. 8.23)、退任(死亡)1709(宝永 6. 1.
10)。
(2)林鳳岡の私塾を湯島に移し、聖堂を建てて……。
(4)「聖堂」の項。一六九〇将軍綱吉が林羅山の学問所であった
忍ヶ岡の先聖殿を湯島に遷して建立。
(6)1691年将軍綱吉が上野忍ヶ岡から移建。
(*)1684(天和 4