手島 堵庵
てしま とあん
1718. 6.12(享保 3. 5.13)
1786. 3. 8(天明 6. 2. 9)
◇江戸中期の石門心学者。名は信、字(アザナ)は嘉左衛門、通称
は近江屋源右衛門、号は堵庵。京都の商家生れ。「てじま と
あん」とも呼ぶ。手島和庵(長男)の父、上河淇水(ウエカワ・キスイ)の
養父。
13歳で父と、18歳で母と死別。
18歳のとき、石田梅岩(バイガン)に師事。梅岩の死後は門人斎
藤全門に教えを受ける。
44歳で家業を長男に譲り、心学の普及に努め、広く市民教育
に尽力し多数の門人を擁するようになる。
1782(天明 2)京都に明倫舎を建設して舎主となる。また五楽
会・修正・時習・恭敝などの講舎も起こす。
自己批判を中心とする精神修養を説く。
著書は『前訓』・『知心弁疑』・『会友大旨』・『明徳和賛』
など。
(2)誕生日は享保 3. 5. 3。
◎門下には中沢道二(ドウニ)・布施松翁(フセ・ショウオウ)・上河淇水・
薩(「土」偏+「垂」)(サッタ)徳軒などがいる。