天海
てんかい
1536(天文 5)
1643(寛永20.10. 2)
◇江戸初期の僧侶(天台宗)。号は南光坊、勅諡号は慈眼(ジゲン)
大師。会津高田の人。
11歳で出家し随風と号する。14歳で宇都宮の粉河寺(コガワジ)
の皇舜に天台を学ぶ。のち比叡山・園城寺(オンジョウジ)・興福寺
などで諸宗について学ぶ。
1571(元亀 2)織田信長の比叡山焼打ち後、武田信玄の招きで
甲州に赴く。世良田の長楽寺(群馬県新田郡)・江戸崎の不動院
(茨城県稲敷郡)を経て、1590(天正18)川越の喜多院(キタイン)無量
寿寺で豪海(ゴウカイ)に師事し天海と改める。
1589(天正17)徳川家康の知遇を受け、内外の政務に参画。
1599(慶長 4)川越喜多院(27世住職)と1613(慶長18)日光山
(二荒山)を授けられる。
家康の没後、崇伝(スウデン)と争って失脚させ、権現(ゴンゲン)
号の勅許を乞い久能山(クノウザン)から日光山に改葬、輪王寺(リンノ
ウジ)を建立。
また秀忠・家光にも信任され、幕政に参与。
上野忍岡が江戸城の鬼門であることから城の鎮護のため、
1624(寛永元)上野東叡山寛永寺を開山。1637(寛永14)から寛永
寺に経局を設け、天海版といわれる日本最初の『大蔵経』を刊
行(没後の1648年完成)。
1633(寛永10)川越に仙波東照宮を創建。
(4)一六二五年上野東叡山寛永寺を開山、……。
(6)1624年江戸上野に寛永寺を開山。
(*)1648(正保 5