千馬 光忠
ちば みつただ
1653(承応 2)
1703(元禄16. 2. 4)
◇江戸中期の赤穂浪士。赤穂藩士、馬廻、禄高30石。通称は三
郎兵衛(サブロベエ)、戒名は刃道互剣信士。吉良家を探索中の変
名は原三郎(サブロウ)。永井日向守(ヒュウガノカミ)に仕える千馬求之
助(キュウノスケ)の次男で、赤穂浅野家の同族千馬家の養子になる。
光忠は資質剛直で、ある事で主君浅野内匠頭(タクミノカミ)長矩(ナ
ガノリ)の不興をかい、閉門に処せられ禄高100石から30石に減封
される。その後も長矩と折り合いが悪く、禄を辞して赤穂を去
ろうとしていた時、長矩の刃傷(ニンジョウ)事件が起きて留まる。
吉良家討ち入りでは裏門隊。伊予国松山藩主松平隠岐守(オキノ
カミ)の江戸屋敷に預けられ、翌年、波賀清太夫(ハガ・セイダユウ)の
介錯(カイシャク)で切腹。